2005年01月

2005年01月27日

舞姫タイス

『舞姫タイス』 アナトール・フランス 著
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古代エジプトのテバイードのナイル川流域の砂漠にはキリスト教初期の隠者たちが隠栖していた。

多くの修道士が苦行に励んでいたが、アンティノエの修道院長パフニュスほど功徳の豐かな修道士はいないと言われていた。

パフニュスはアレクサンドリアの貴族の生まれだが、20歳ごろ改心し世俗を離れて贖罪苦行の日々を送っており、彼を敬愛する弟子たちは24人を数えた。

ある日、パフニュスは、瞑想の最中、アレクサンドリアの劇場でタイスという美しい舞姫を見たことを思いだした。
見ただけではなく、当時15歳だった彼はタイスに惹かれるあまり彼女の家の近くまででかけたこともある。

妖艶で美しいタイスは、アレクサンドリアきっての舞姫であり、多くの男たちを惑わし、からだを与える女であった。

パフニュスはタイスの存在や生き方は人々の墮落の種になっていると考え、アレクサンドリアまで出かけて彼女を聖なる道に導こうと考えるのである。

暫くぶりで故郷のアレクサンドリアに帰ったパフニュスは、世俗にまみれきった学友を軽蔑しつつ、そんな男たちに取り囲まれているタイスを悔悛させ、女子修道院に預けて、再び砂漠に戻った。

師の帰還は弟子の祝福を受けたが、ほどなくその地と弟子を捨て、昔偶像教徒によって建てられた廃墟の額に牝牛の角とを生やして微笑んでいる目の細い頬の豊かな女の首ののっている柱にのぼり、その柱上で修行を重ねた。

柱上での苦行はますますパフニュスの評判を高め、聖者と呼ばれ、崇められ、尊敬された。

神のお告げで長い間いた円柱を下りたパフニュスは、タイスが死掛けていることを知り、本能のまま走り続けて修道院に会いに行く。
死の床にあるタイスは、修道院生活で清らかに神に近づいていた。駆けつけたパフニュスは、

「神も天国も下らぬもの。恋だけがほんとうのものだ。愛している。一緒に逃げてふたりで愛し合おう」とタイスに向かって叫ぶが、聖なるタイスは神の近くへ行ける悦びにふるえつつ息絶える。

タイスを預かってくれた修道院長に「去れ、呪われたるものよ」と吐き捨てられた名高い聖者のパフニュスは、目もあてられぬほどの醜い形相になったという。


アナトール・フランスの文体はバルザックよりもはるかに読み易い。
本書も、『神々は渇く』と同様、一気に読み進んだ。
パフニュスは15歳でタイスを知る。タイスにとってはその時のことはまるで覚えがない。自分の美しさや今の生活のはでやかさに満足とは相反する気持ちも持ち合わせており、少女のころに洗礼も受けたことのある彼女は、苦行に耐え、自分を救うためにやってきたというパフニュスに導かれて悔悛するあたりはマクダラのマリアに少し重なる。

パフニュスは、重い苦行を重ねていくが、それは、心の中で燻り続けるタイスへの愛を追い払うためであり、最後にどんな敬虔なことよりも、「男女の愛」という超世俗的な感情こそが真実であると叫ぶ。

パフニュスは、架空の人物と注訳があるが、10年間の修行のあと、柱の上で36年間修行した聖シメオンをアナトール・フランスは頭に置いていたのでないかと思う。

また、本書、『舞姫タイス』を原作とし、『タイス』としてオペラになり、この歌劇が成功を収め、アナトール・フランスは、作曲家マスネに礼を述べている。

この歌劇の中で使われた♪タイスの瞑想曲 はわたしたちにとても耳馴染みのある曲です。

『舞姫タイス』は北宋社や角川や2001年にアナトール・フランス全集などでも読むことができるが、今回は白水Uブックスのものを読んだ。訳は水野成夫さん。
解説は明治大学の教授でもあり芥川賞作家の堀江敏幸さん。
蛇足で書くと堀江さんの作品の中での私のお気に入りは芥川賞受賞作の『熊の敷石』と『ゼラニウム』

表紙の絵は、我が敬愛のギュスターヴ・モローのパシパエ。
パシパエは、クレタ王の后で牡牛の通じてテセウスが殺す半人半牛のミノタウロスを生む。
この絵を表紙にしたのは、世俗で生きている時のタイスの奔放さをはめたのかそれともパフニュスの上った円柱の牡牛を想起したのかはわからないが、随所に散りばめられるギリシア神話のアナトール・フランスの文面に関与しているのかもしれない。

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2005年01月23日

夜を抱いて

『夜を抱いて』 グウェン・エイデルマン 著
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「君はなにもわかっちゃいないただのネンネさ。重要なことは君の生まれる以前に起こり、終ってしまった。君がオムツをして這いずりまわってる頃、俺はたくさんの女を抱いていたさ」

そんな風なことを言われたら、なんと答えればいいのだろう。

彼は彼女のことを、「いい子のエンジェル」とか「愛するダーリン」と呼ぶ。

男はオーストリア生まれの有名なユダヤ人作家ジョゼフといい、彼が彼女キティと出会ったのは60歳だった。
キティは32歳。28歳の年の差のふたりは恋人になった。

60歳のジョゼフは、精力的で自信満々、冗談好きで饒舌だった。
官能的な夜を何度もふたりで越え、たぶん、キティが35歳の恋人を持ったとしても夜の情熱の種類はそんなには変わらなかったであろう。
ただ、ジョゼフはキティより28年長く生きていた。
ベッドで愛を交わしたあと、或いは交わす前、彼はドナウ川も氷結していた百年に一度の極寒の夜に生まれてからの長い人生を語った。
それは、父や母の話であり、ナチの話であり、出会った女の話であり、抱いた女の話であり、一度目の妻、その間に出来た子の話であり、二度目の妻、その間にできた子の話であり、街の話であり、夜の話であり、人生の話であった。

年の差カップルは数多いが、シュテファン・ツヴァイクを思い出してしまうのはツヴァイクの死が私にとって今だ謎なのと、ツヴァイクとシャルロッテは結婚はしていたが、本書の登場人物のふたりと年齡が似通っているからだろうか。
ツヴァイクは亡命先のブラジルで妻と共に自殺した。
ツヴァイクは60歳。妻のシャルロッテは33歳だった。
シャルロッテは、ツヴァイクと共に死に、ジョゼフから去ったキティは、10年後にジョゼフの死を新聞記事で知る。その時彼女は、小説を三冊出版し、パリで結婚している。現実と虚構の物語を重ね合わせるのは無理があるが、シャルロッテがツヴァイクが死ぬ前に彼と別れていたらなど、余計なことを考えてしまった。人間の思考の連鎖というのは突拍子もないものだ(苦笑)


本書の表紙はクリムトの『ダナエ』
『ダナエ』は『接吻』とほぼ同じ時期に描かれた作品だが、『接吻』と比べ非常に官能的な絵画といえるでしょう。
ダナエはアクリシス王の愛娘ですが、王は「孫に殺される」という予言を受け、ダナエが誰の子も身ごもらないように閉じ込めてしまうが、ゼウスは黄金色の雨となってダナエの元に忍び込む。ダナエは妊娠し、英雄ペルセウスを生みます。
クリムトは、ゼウスの化身の黄金の雨をダナエの股間に降らせている。表紙にギリシア神話主題のこの絵が使われたのは、運命のような結びつきや囚われの女の隠喩なのでしょうか。

惹かれるというのは、囚われるということとイコールではないかと思う。
そして別れても強く囚われていた関係の人は心から立ち去ることはなく、心の中で行き続ける。男女に年齡は関係ない。
だが、年下であるということは、知らずにいて済むことを年上の男から学ぶことでもある。

at 18:54コメント(0)トラックバック(0)書評 

2005年01月20日

冬には毛糸を

冬 に は 毛 糸 を



冬の日は冬の犬見ゆくれなゐの千切れた雲が流るる下に


ひとしきりマンダラゲの話せしゆふぐれ医者の妻は眠りき


真つ白にちらほら紺の混ざりたる百パーセントの羊の糸よ


子羊を意味するといふ名をつけてドストエフスキー小説を編む


霜月の聖母を思ふ子宮にて指吸ふイエスほほゑみたるや


BBCワールドニュースアラファトの昏睡伝へ続けてゐしも


棒針の先の尖りをさしいれる作り目の糸たゆむ黄昏


春に咲く花の球根配りゆく花屋に会ひし冬のひとひに


毛糸玉あまたかひなに抱きゐて冬の微熱をあたためてゐる




at 21:31コメント(0)トラックバック(0)短歌 

2005年01月18日

シュピルマンの時計

『シュピルマンの時計』 クリストファー W.A. スピルマン 著
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映画『戦場のピアニスト』は封切られてすぐ旅先の映画館で見た。

良い映画であったし感じることはたくさんあったが、ウワディスワフ・シュピルマンのピアノをそんな数奇な運命のピアニストとして聴いたことがなかったことに反省はしたが、彼の印象の鮮烈さは、あの映画で完結された感があった。

ところが、遅ればせながらつい最近、彼のご長男であるクリストファー・ウワディスワフ・アントニ・シュピルマンさんが、日本に住んでいて、日本人と結婚してるということを知った。
そしてそのクリスが『シュピルマンの時計』という著作を書いていることを知った。

本書は2003年9月下旬初版なので、本当に遅れ馳せながらなのだが、手にとるに至ったのである。

シュピルマンのその後の人生を息子が描くという形態をとる本書には、映画で知りえなかった父、夫、ピアニストとしてのシュピルマンが多く記されている。

ポランスキー監督の映画、『戦場のピアニスト』は、シュピルマンの回想記『ある都市の死』を原作とするが、その『ある都市の死』は、1946年に出版されている。
シュピルマンを匿い救ったドイツ将校のホーゼンフェルト大尉との出会いは1944年11月であり、ほどなくドイツは敗北しシュピルマンの命がけの隠遁生活も終わり解放されるのであるが、こんなにもすぐに回想記が出版されていたとは知らなかった。
そして、1951年、ホーゼンフェルト大尉夫人から彼の元に収容所にいる夫を助けて欲しいという手紙がシュピルマンに届く。大尉の存命を知ったシュピルマンは手を尽くすが、大尉は1952年スターリングラード収容所で心身を病んで亡くなる。

ホーゼンフェルト大尉は、元高校教師のヒューマニストであり、彼が助けたユダヤ人はシュピルマンだけではなく、数百人もいたのではないかとクリスは回想する。

ユダヤ人のシュピルマンにドイツ人将校は敬語で話しかけており、それが、映画の日本語字幕には反映されていないことをクリスは残念な事柄として指摘している。

1945年に終戦を迎えたシュピルマンは、その後、ハンナという年若い医学生と知り合い結婚する。
その第一子として誕生したのが、クリスであり、その下にもう一人弟が生まれている。

クリスはホーゼンフェルト大尉が亡くなる1年前の1951年に生まれている。父となったシュピルマンはカメラを趣味とし、子どもや家族の写真を撮っている。本書には家族の写真が幾枚も掲載され、成長するに従って面立ちが父のシュピルマンに似てくるクリスが見受けられる。

父としてのシュピルマンは、我が子にピアノを教えたことがないという。そしてシュピルマンはピアニストとして生き、最後までピアニストであったとクリスは綴る。
シュピルマンは『戦場のピアニスト』の監督であるポランスキーとも以前から面識があり、ポランスキーが生前のシュピルマンの人となりを知って作られた映画であることを思うと感慨深さが増す。

本書の表紙の時計は、クリスが父のシュピルマンから譲られ大事にしているものだという。時計を戦時中とられたシュピルマンは戦後、時計を真っ先に買ったという。父が刻んだ時を息子は守りそして息子も時を刻んでいく。

クリスはポーランドで教育を受け、ロシアに渡ったり、ロンドンやアメリカで学んだりするが、日本人女性と結婚し九州に住んでいる。(今はまたアメリカなのかもしれないが)

クリスはクリストファー・ウワディスワフ・アントニ・シュピルマンという名前だ。しかし、日本人にはシュピルマンの「SZ」を正確に発音できるひとが滅多にいないことを知り、スピルマンと片假名明記することに決めたという。
なので、ピアニスト シュピルマン の息子はクリストファー・ウワディスワフ・アントニ・スピルマン。

個人的にではありますが、スピルマンさんが日本に住んで下さることへの歓迎とご家族のご多幸を願います。


at 06:42コメント(0)トラックバック(0)書評 

2005年01月13日

カルパチアの城

『カルパチアの城』 ジュール・ヴェルヌ 著
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ジュール・ヴェルヌといえば、『十五少年漂流記』や『地底旅行』『月世界旅行』『海底二万里』『八十日間世界一周』『神秘の島』など著作多数の作家。

しかし、あまりにもすばらしい冒険小説やSFは男の子好みで、私はヴェルヌをあまり読んではいない。

『カルパチアの城』はそんなヴェルヌの作品群と趣の異なる小説であるらしいと知り読んでみる気になりました。

読み始めると面白くて面白くてノンストップで最後まで読んでしまいました。

舞台はトランシルヴァニアの古城。
ドラキュラの城ではない。ヴェルヌがこの作品を描いたのは、ドラキュラの城が見つかる80年も昔なのである。

ともあれ、トランシルヴァニア(ルーマニアの中部地方)の村人のひとりである羊飼いが行商人から遠めがねを買った。
その遠めがねでゴルツ男爵家を君主とする城のあたりを覗いたら、羊飼いは一条の煙を見たのだった。
そんなはずはない。カルパチアの城はもう隨分前から誰も棲んでおらず、城主であるゴルツ男爵の行方もしれないのである。

男爵の出奔後廃墟と化した名門の古城は村人にも気味悪がられてもいたが、その煙の正体を確かめるためにふたりの村人が朽ちゆく城を訪ねることになった。
ひとりは、可愛いミリオネッタとの結婚式を控えている若い林務官ニック。もうひとりは中年太りの医者のパタク。
医者の方は引きずられて行ってるのはありありだが、若いニックの方は、勇気があり、意志が強く、精悍なハンサムな青年ニックにはヒロイックなファクター数多で、おどろおどろしい城に立向かう勇敢さに心が踊ってくる。

しかし、このニック、あっさりと転落してしまい、気を失って村に搬送されて帰る。
怖がりの役立たずの医者の方が意識ははっきりしていて我が足で帰路につき、ことのあらましを震えながら皆に伝えた。

鐘が揺れ始め、怖ろしいうめき声があたりに満ち、強い光が城塔から高原を照らした。
医者は濠で足が何者かにとらえられたように動かなくなり、若いニックは跳開橋の鎖をよじのぼっていたが、見えない手にはたかれたように彼の手は鎖から離れ墜落して気を失ってしまったというのだ。

ニックに代わる新しいヒーローになるらしき人物をヴェルヌはすぐに登場させる。
偶然、村の旅籠に泊っていたテレク伯爵と従卒のロッコが、この話を聞きつけ、その城に自分たちが行ってみようと言い出したのだ。
テレク伯爵とゴルツ男爵は曰くつきの仲。
イタリアの歌姫ラ・スティラをめぐる恋仇きで、テレクと結婚することに決めたスティラの最後の舞台で彼女は急死してしまう。

その後、ゴルツ男爵の行方はしれず、深い傷を負ったテレクもようやく立ち直り旅に出かけた時に聞いたゴルツという名前に、テレクが反応せずにいられようか。
この急展開のヴェルヌの仕掛けに読者は大いに満足し、再び先を急いでしまうのである。

カルパチアの城で因縁の男たちは再会し、そしてスティラが・・・・・

冒険小説の大家。SFの開祖ともいわれるヴェルヌの息をもつかせない筆致には脱帽。
そして、本書の訳者である安東次男さんの名訳も光る。
安東さんは、芭蕉関係の著作のたくさんある方で、私も安東さんがお書きになった連句の本は読んだことがあります。

ヴェルヌは52歳のとき、可愛がっていた甥にピストルで撃たれ、膝に生涯癒えない傷を負っている。本書はその不幸な出来事のあとの晩年の作品だが、怪奇小説ともいえるこの作品にもヴェルヌの凄さを垣間見ます。

尚、本書は『カルパテ城の謎』という題名で映画化されているが、私はその映画を見ていません。原作とストーリーが多少異なるようですが機会があれば見てみたいと思います。

at 22:32コメント(0)トラックバック(0)書評 
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