2004年10月

2004年10月29日

光の谷間

『光の谷間』 テリー・ケイ 著
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テリー・ケイの描く物語の世界は、『光の谷間』の表紙の絵ような暖色の水彩画に似ている。

『白い犬とワルツを』も、妻に先立たれた老人のサムに寄り添うように生きていく白い犬とのやさしくもせつなくなる物語も、決してベタベタとオイルの絵の具を塗りたてたような小説ではなく、絵筆に水をたっぷりとふくませた清らかなタッチの物語だった。

本書の主人公は、ノア・ロックという名である。
彼は、釣りをしながら旅を続けている。
旅の途中に出会ったホーク・ムーアという老人から光の谷間の話を聞いた。
そこには、見たこともないような大きなバスがいる小さな湖があり、釣ろうと試みたが失敗したという。

ノアは、光の谷間に向かった。1948年のことである。

ノア・ロックは、無口で無欲な物静かな青年だった。
従軍経験を持ち、ナチと戦ったが無事帰還している。
両親はすでに亡くなり、たったひとりの弟は刑務所に入っていた。
ノアには、不思議な能力があった。
どんな場所でもノアは魚を釣り上げた。
釣る前に手のひらを水面につけると魚は必ず釣れた。

光の谷間に行くようにすすめたホーク・ムーアも、光の谷間で生まれた人間だったが、そこに住む人のことは悪くは言わなかった。
そのとおり、ノアは、そこで何人かの人たちに出会い心を通わせていく。

小さなストアの店主で陽気なテイラー。

夫が戦争から帰ってきたあと自殺してしまった未亡人のエレナー。

そのほか谷間の人たちに暖かく迎えられた旅人のノアは、テイラーの店のペンキ塗りなどを手伝いながら、ホーク・ムーアの語ったバスがいる湖のそばの小屋で寝泊りしていた。

エレナーは、スタインベックを愛読する都会育ちの知的な女性で、未亡人になった彼女に思いを寄せる谷間の男たちも少なくないが、エレナーは、まだ、夫の不可解な死から立ち直きれてなかった。
そんなエレナーもノアに対しては心を解放する。

ハワードの孫のマッシュは分厚いめがねをかけた少し知恵遅れの少年で、ノアに憧れを持ったようだった。
そんなマッシュが、行方不明になり、悲しい結末をむかえる。

ノアは、ホーク・ムーアの語った湖、すなわち、エレナーの夫が自殺し、マッシュが死んでしまった その湖で、大きなバスを釣り上げる。
そして、そのバスを糸を切ってまた湖に戻したあと、静かに光の谷間を立ち去る。

ノアの旅は終るのだろうか・・・・・

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ヴェネツィアの恋文

『ヴェネツィアの恋文』 
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著者の祖先であるヴェネツィアの旧家の子息アンドレア・メンモとヴェネツィア人とイギリス人の庶出の娘ジュスティニアーナ・ウィンの18世紀に交された現存している書簡の引用しつつ、歴史的背景を浮かび上がらせながらふたりの人生の軌跡を綴ったノンフィクション。

アンドレア・メンモはヴェネツィアの名門貴族の家に生まれ、元首に継ぐサン・マルコ財務官まで上り詰めている。
本書の後半部分は、ジュスティニアーナの手紙しか残っていないため、メンモの人生のディテールは語られないが、若い頃から、自分の家柄と生き方に自覚を持っていた人物だった。

彼が、青年時代、ジュスティニアーナという美しい娘と出会い、恋に落ちるが、身分の差があり結ばれない。
ふたりは、文字をふたりの考え出した秘密の符牒で表し、それを使って書簡の行き来をさせた。
ふたりの気持ちは、結婚が絶望的だとわかってからも通じ合っていたが、やがて友情にかわっていく。

ふたりの共通の知り合いに彼のカサノヴァも含まれており、ジュスティニアーナが、修道院でこっそりと子供を生む手助けなどをしている。

ふたりが生きた時代を経て間もなくヴェネツィア共和国は終焉を向かえた。

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2004年10月26日

腐爛の華

『腐爛の華』 J.K.ユイスマンス 著

三島が「デカダンスの聖書」と称し、澁澤が自らの翻訳のうちでも気に入りであったという『さかしま』を、私は学生のころから繰り返し読んだ。

『さかしま』は、没落した貴族の末裔のデ・ゼッサントという腺病質の男が、館を自分の偏狹的宇宙に改造し、そこで、甲羅に象嵌を施した亀を歩かせてみたり、窓や部屋を改造して船のなかにいるようにしてみたりと、ひきこもり青年の道楽の軌跡を読んでいるような本だが、この変わり者のデ・ゼッサントが飾った絵が、ギュスターヴ・モローの『サロメ』2枚とオディロン・ルドンなのだからほっとくわけにはいかない。

『彼方』では、ジル・ド・レーを描き、戦慄の世界を描き出したジョリス=カルル・ユイスマンスは、改宗し、その後、中世キリスト教の基盤に立つ作品を何冊か著している。

本書、『腐爛の華』のサブタイトルは、スヒーダムの聖女リドヴィナ。改宗後の作品である。

1380年、オランダのハーグのそばのスヒーダムでリドヴィナという女の子が生まれた。
この少女は、信心深く美しい子に成長する。15歳までは健康であったようだ。
その後、スケートに行って転倒し、肋骨を折ってしまうが、骨折のあとに膿瘍ができ、膿瘍は破裂し、膿と血を吐き、壊疽し、それは全身に広がって、汎潰瘍化し、腐爛し、ウジ虫がわいた。右目は失明し、口や耳や鼻から血を流した。
カリエス、ペスト、丹毒などの感染症にも見舞われた。
これほどの蝕みが少女に襲いかかってもリドヴィナに死は訪れなかった。
医師は神憑っていると告げた。

リドヴィナは、こんな凄まじい苦痛の毎日を過ごしつつ行き続ける。母が死んでも父が死んでも兄弟が死んでもリドヴィナは腐ったからだのまま行き続け、53歳まで生きた。

リドヴィナは自分の身におこっている責苦を罪を犯した者たちの贖罪であると位置づけ、主に彼らの代わりに自分を罰してほしいと祈った。
このような身代わりは、日本でも身代わり地蔵や身代わり観音などにもみられるが、生きながら贖罪を負う聖人は西洋によくみられる。

亡くなって屍になったリドヴィナは、発病する前の愛らしい姿に戻って、全身の傷も癒えていたという。

ユイスマンスは、スヒーダムを訪れて、最後の章に聖女を偲びながら旅の囘想を記している。


書中にリドヴィナが死後数年たって生まれたボンバストゥス・パラケルススが『オプス・パラミルム』に書き、ユイスマンスが引用している一文が忘れられない。

--「すべての病気が贖罪であることを知らねばならぬ。もしも神が贖罪が終ったと考えぬなら、どんな医者も病気を中断させることができぬ。・・・医者はその治療が主によって決定された贖罪の終わりと偶然に一致せぬかぎり病気を治すことができぬ」--

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2004年10月24日

ゾマーさんのこと

『ゾマーさんのこと』 パトリック・ジュースキント 
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ぼくがまだ木のぼりをしていたころ、
草むらも森も坂道も湖もぼくのそばにあり、
木の上は静かで、葉ずれの音だけを聞きながら、沈む夕日を見ていた。

ぼくは気になる人がいた。ぼくだけじゃなくぼくの村の人や隣の村の人もその人のことを気になっていたのかもしれない。

その人の名前はゾマーさんという。
ゾマーさんがどこからきたのか、ゾマーさんが一体どういう人なのか知ってる人はいなかった。
しかし、ゾマーさんがどのひとなのかということはみんな知っていた。
なぜなら、ゾマーさんは朝早くから夜遅くまでずっと辺り一帯を早足で脇目もふらず歩き回っていたから。
誰かがどんなに早起きをしてもゾマーさんはすでに歩いていたし、夜遅く月が空にかかるころ、やっとゾマーさんは奧さんと住む家に帰ってくるらしいが、また朝にならないうちから同じ恰好をして同じリュックサックを背負ってひたすら歩きまわっているのだった。

ぼくのおかあさんは、ゾマーさんは、クラウストロフォビア(閉所恐怖症)だから部屋にじっとしていられない病気だからずっと歩いているのだという。

そのはなしを聞いてぼくはゾマーさんの病気を<のべつ外を歩いていなくてはならない病>と名づけた。

ぼくは、木登りのほかに同じクラスの女の子をちょっぴり好きになったり、おこりんぼのピアノの先生を遅刻でますます怒らせてしまったりと、ふりかえるとちっぽけな、(当時のぼくとしては大事件を)経験しながら成長した。
ぼくが落ち込んだり、呆然としていたり、とにかくぼくが気がつくとゾマーさんがどこからともなく歩いてきて脇目もふらずに行ってしまうのだった。

そのうち、ゾマーさんの奧さんが亡くなったと聞いた。
ある日、ぼくはゾマーさんの最後の姿を見る。
ゾマーさんがゆっくりと湖の中に消えていくのをぼくはそっと見送った。
そしてそのことを誰にも語らなかった。


猟奇殺人を起こしつつ、香水を作っていった『香水』とはまったく異質の『ゾマーさんのこと』は、『香水』と同じく池内紀さんの翻訳で出版されている。
少年時代の囘想に交じる消すことのできないゾマーさんのこと。
パトリック・ジュースキントは、一九四九年、ミュンヘンのシュタルンベルク湖畔の生まれ。
読者が著者の少年時代に思いを馳せるのも当然である。

パトリック・ジュースキントの文章に絵を入れているのは、フランスで有名なジャン=ジャック・サンペ。
サンペが描き出すゾマーさん ゾマーさんは今日も歩いている。

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2004年10月17日

うをとみづ

さかしまに満月を見るうろくづが真水の庭に集ゐるらしも



真夜中の睡蓮鉢から湧き出づる魚族のこゑはみづに沈みて



ありふれしけふは過ぎゆき魚の吐く泡はぷつぷつ消えゆくばかり



光降るみづのおもてに見えざりし黒くちひさな魚眼思ひき



にんげんののみどを通り透明なみづはちやぽちやぽ搖れてをります



和のみづと洋のみづとを飲み干してみづの硬さを確かめてゐる



人類は海に暮らせずただみづに色などつけて売りてをりけり



ヨーロッパ王家の系図を暗記する果たして魚族に王はゐるのか



ゆふぐれの湯浴みのあとのしづけさや 茜の空にひたひたと秋



at 00:35コメント(0)トラックバック(0)短歌 
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