2004年09月

2004年09月29日

香水

副題は‘ある人殺しの物語’

この物語は人殺しの物語には間違いはないのだが、匂いの物語でもある。
読者は、この本をただ読んでいるだけで、さまざまな匂いを嗅がされているような気分になるし、それに主人公のジャン=バティスト・グルヌイユの人生は、著者が冒頭に引き合いに出しているように、サド侯爵やサン・ジュスト、フーシェ、ナポレオンなど時代の赤絨毯の上を行く怪物たちとの人生とは異質であるが、とにかく、ある意味、天才であり、またとない嗅覚と視覚、そして腕を持った男なのである。

彼が生まれたのは、1738年パリ。
王族、貴族たちは優雅な生活を送っている頃ではあるが、彼らが城を転々として過ごすことが多かったのは、優雅さを益々享受するという目的ではなく、排泄物の悪臭に耐えられなくなって移動するというかんじだったのである。城は召使が掃除すればよいが、街は、毎日死人はたくさん出るし、セーヌも汚物ですざまじい匂いを発している。
そんな悪臭が特に強く漂う墓地近くの魚屋でジャン=バティスト・グルヌイユは生まれた。

この出生たるや、FBIに獄中協力をし、映画『ハンニバル』のモデルになったヘンリー・リー・ルーカスのそれと似通っているのだった。
グルヌイユの母親は魚をさばきながら、グルヌイユを産み落とした。グルヌイユは5番目で前の4人もそうやって魚の臓物と一緒に処分したのだ。いつもなら、赤子は泣きもせず誰も出産に気づかないが、グルヌイユは俎板の下で泣き声をあげた。グルヌイユとはフランス語で蛙という意味だが、そんなことは魚屋で生まれようがどうが関係はない。
彼を産み落とした母親は、逮捕され、嬰児殺しの重罪で処刑された。
なので、蛙と名附けたのは他の人物なのだ。

乳をよく飲む子だった。赤子のときからなにやら薄気味悪かった。乳母がいうには、全く匂いがしないということだった。
自らの匂いを持たない人物。これがこの物語の主人公のジャン=バティスト・グルヌイユだ。

修道院から嗅覚のない女の経営する養育院に送られた。幼ないクルヌイユは奇怪な能力を発揮しはじめる。
壁ごしに中が見えたり、隠してある金の在り処を言い当てたりするのである。気味が悪くなった女主人は皮なめし職人にグルヌイユを売り飛ばす。
グルヌイユの働きぶりには何の問題もないが、この頃から彼は自分の嗅覚の特殊性に気づき、街の匂いのあらゆるものを鼻で記憶していく。
あるとき、彼の嗅覚を刺激して離さない匂いを嗅いだ。その匂いを我がものとするため、最初の殺人を犯した。
その若い乙女の神聖な芳香を殺したのち思うさま嗅ぎ終えてグルヌイユは満足した。

パリの老舖の有名香水店になめし皮の納品に行ったグルヌイユは、老いて鼻の麻痺しかかってる香水調合師の前で、店主が調合に苦労していた香水をあっという間に作り上げ、香水店で働くことになる。
ここで、匂いのスペシャリストになりつつあったグルヌイユは、さんざん儲けさせたやった店主から暇を告げられ、あっさりと小金を貰って出て行く。店主は橋の上の店ごとグルヌイユが出て行った日に川に落ちてしまった。

その後、グルヌイユは、ツァラトストラのように、人のいない山に7年籠り、下山する。
洞穴生活のあと致死液に情熱を注ぐ公爵などと知り合い、それからグラースの街に棲みついた。
その以前から、グルヌイユは体臭の香水を作り出していた。
匂いは人を惑わせる。心さえ操ることができるのだ。
このころには、読者のわたしたちも、グルヌイユの嗅いだあらゆる匂いを嗅がされた気分になっていて、そのあたりは、改めて著者のパトリック・ジュースキントの筆力に驚愕するのであるが・・・

連続殺人事件が起こりはじめる。ヘンリー・リー・ルーカスのように360人もは殺したりはしないが、25人の美しい年若き娘が殺された。

25人目を殺したあと、グルヌイユは殺人容疑で逮捕された。
なぜ、娘たちを殺したのか、理由をはっきりグルヌイユは言わなかった。彼は匂いを作り出すすべての技術を取得していた。彼は娘たちを香水にしてしまったのだった。

グルヌイユは死刑になることになるが、25番目の娘の匂いで、この凶悪犯の公開処刑を楽しみにしてきた民衆の心を支配する。
うまく死刑を免れたグルヌイユはパリに向かい、パリで香水をからだに振り掛け、その匂いを欲しがった連中に八つ裂きにされ、喰らわれ、この世から忽然と消え去った。

なんともすごい小説である。
18世紀のパリの匂いがプンプンとしてどうしようもない。
たちこめる悪臭も鼻をつく貴婦人がつける香水の匂いももう勘弁してほしいという気持ちである(笑)

そしてグルヌイユの特異な人生は終ったはずなのに、目立たずそのあたりに生きており、音もたてず忍び寄ってきそうな気さえする(笑)

この本は池内紀さんの訳でもあり、日本でもよく売れたらしいが、世界各国でも翻訳されており人気本であるという。
予想外に本が売れて有名人になったジュースキントは、南仏にひきこもっているという。(笑)



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at 22:50コメント(0)トラックバック(1)書評 

2004年09月23日

夏の終はり

みづいろの玻璃の器に棲む魚は鱗はらはら晩夏に遺す


晩光に葡萄傷みてゆくさまをかたはらに置き夏は終りぬ


虫籠は蝶の骸を閉ぢ込めて濡れてをりたり 雨に打たれて


貝殻の裏の模様を愛すてふ眩暈のやうな逢魔が時に


さういつか、蝶も小鳥も水底に天翔る羽を植ゑにゆくべし


隠れ家のやうな館に行く坂をしづかに上る須磨の海風


ささやきの息がちひさな輪を作り左の耳を結びてゆくも


コスモスの繊きうなじを搖らさむと初秋の風は辻を曲がれり


土壁を白きドレスで撫づるごと掠れたこゑの蟋蟀が鳴く

at 22:13コメント(0)トラックバック(0)短歌 

百頭女

『百頭女』 マックス・エルンスト 著

シュルレアリスムの代表的な人物であるマックス・エルンストのコラージュ・ロマン。

ドイツのケルン生まれのエルンストは、ケルンでダダグループ創設に関り、その後、パリに出てブルトンをはじめ、シュルレアリストたちと親交を深める。ナチに追われ一時、渡米するがまたフランスに戻った。

エルンストは、シュルレアリストのなかで、手法的に一番意欲的だったとされていて、油彩をはじめ、印刷物のコラージュ、本書のような小説と合体させたコラージュ・ロマン、フロッタージュ、油彩に応用したグラッターシュなど斬新的手法を試みたアーティストでもあった。

20世紀最大の奇書とされる本書は1974年に河出書房新社から出版されたが、96年に『慈善週間または七大元素』らと共に文庫化されている。
今回、74年出版の大判の方の『百頭女』が手に入り嬉々として拝読した次第である。

表紙を開いて3頁目からはじまるブルトンの前口上も読み応えがある。

9章からなるこの書物は、コラージュとそれに添えられるように下に書かれている短い文章から成る。
一番最初のページに出てくる挿画と最後の挿画は同じもので、「おわり そしてつづき」という文章で終る。

百頭女が登場するのは、2章で、百の頭を持つ女ではなく、黒髪の美少女である。
襟にレースのついたぴったりとした服を着て、その服の左側の胸の部分は刳り貫かれて丸い乳房が覗く。
坐っている膝の上には、髪に薔薇の花をつけた頭だけの人形か仮面をのせ、左手の指を見開かれた瞳の上に置いている。
凭れているような大きな木箱は開かれて、無造作に放りこまれたような書物がたくさん見え、彼女の足元や膝元にも本が散乱している。
右奧には檻に閉じ込められた男が格子の隙間から手を差し出して何か叫んでいる。

エルンストの文章はこうである。

「ジェルミナル、私の妹、百頭女 (場面の奧、檻の中には永遠の父」

百頭女と怪鳥ロプロプの不思議な物語。

絵で読ませ、短い文章で読ませるこの本は超現実主義の芸術活動の一作品としてコラージュ文学の金字塔となっている。

エルンストについては余談ではあるが、少々プライベートな絡み合いも付記しておきたい。
エルンストにケルンからパリに出てくるように勧めたのは、詩人のポール・エリュアールの夫人だったガラであった。
パリ入りしたエルンストはエリュアール夫妻と同居し、奇妙な三角関係を享受した。ガラはその後、エルンストと同じく奇妙さでは群を抜くサルバドール・ダリの愛妻におさまり、エルンストもマリー=ベルト・オーランシュやレオノーラ・キャリントンなど華麗なる女性遍歴を重ねていきました。

at 22:10コメント(0)トラックバック(0)書評 

栄光のオランダ・フランドル絵画展

東京で好評を博した『栄光のオランダ・フランドル絵画』展が神戸に場所を移して開催されている。

今回の展覧会の目玉は、フェルメールの≪画家のアトリエ≫が出品作品に含まれるということであるが、ウィーン美術史美術館の所蔵絵画はコレクションとしての充実ぶりは世界の美術館のなかでも屈指であり、他の作品の来日にも非常に期待が持てる展覧会となった。

2002年秋から2003年春にかけて、東京、京都を巡回した『ウィーン美術史美術館名品』展でもルーベンスやデューラー、カラヴァッジョ、ブリューゲルなどの作品が来日したが、今回の展覧会では、その前展覧会出品作品と重複することのない出展絵画作品であったことは、ますます西洋絵画ファンを喜ばせたことだったと思う。

今回の展覧会は、ウィーン美術史美術館のネーデルラント絵画コレクションが来日したわけであるが、改めて書くことでもないのだが、ネーデルラントは「低い土地」という意を持ち、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク三国とフランス北部の一部の地域を差す。

ブリューゲル(父・子)、ルーベンス、ファン・ダイク、レンブラントなどのネーデルラントを代表する主要画家たちが出展されている。


≪小さい花卉画-陶製の壷の-≫ ヤン・ブリューゲル(父) (c)KHN,Wien

ブリューゲル(父)の作品は、上記のほかに≪ケレスのいる四大元素の寓意≫≪動物の習作(犬)≫≪動物の習作(驢馬、猫、猿)≫が出品されていた。
ブリューゲルは花器に差された花を幾品か描いているが、≪小さい花卉画-陶製の壷の-≫ も有名な作品である。
この絵には、水仙、チューリップ、アイリス、薔薇、ヒヤシンス、スノードロップ、金盞花、菫、矢車草、ムスカリ、百合、ハーベナなど開花時期の異なる花が花器に差され、その花々には、蝶や虫がさりげなく止まっている。花器の前には土のついたままの開花しているシクラメンや落下した花、貝殻、水晶のような光を放つ鑛石、コインが描かれ、ヴァニタスの印象を強めている。間近でよく見ると、コインには1599年という年号が見てとれるが、この絵は1607年ごろに描かれたものだとされている。
ブリューゲルは民衆を描いた画家だが、その緻密さは、こういった植物の静物画にも顕著に現われている。


≪金鎖の首飾りとイヤリングを付けた毛皮の上着の自画像≫ レンブラント (c)KHN,Wien

レンブラントの出展は、上記と≪使徒パウロ≫の二点。
レンブラントは自画像を多く描いた画家としても有名である。最近においてもそのうちの幾点かは真筆かどうかの議論がなされているものもある。彼は自画像を70点前後描いてるが、この絵は1655年に描かれたものである。暗く構成された画布のなかに年老いた画家の顔と首から垂れるチェーンの金色が浮かびあがっている。


≪画家のアトリエ(絵画芸術)≫ フェルメール (c)KHN,Wien

現存する数が少ないフェルメールの絵を何点見たことがあるのかということは、関心事としている人は多いように思う。
私は、国内フェルメール展で5枚。ルーブルで2枚。今回神戸で1枚とまだ8枚しかフェルメールには逢っていない。
死ぬまでに何点のフェルメールに逢えるのかというのもある意味で人生の楽しみなのかもしれません。
さて、
この絵は、フェルメール自身がとても愛した絵で、死ぬまで手元から放すことはありませんでした。
フェルメール自身であると思える画家が、カンバスに描こうとしているのは、月桂冠を被り、右手にラッパ、左手に本を持った青い服を着た女性。女性の後ろには、折れ目のある古そうな大きな地図が掛けられ、天井には金色のシャンデリアが輝いている。
ラッパと本を持って月桂冠を頭にのせた女性は、ギリシアの歴史の女神であるクリオであると考えられ、画家の着ている服裝は、フェルメールが生きた時代より1世紀か2世紀前のブルゴーニュ風と呼ばれるものだそうです。

『栄光のオランダ・フランドル絵画』展
2004年4月15日-7月4日 東京都美術館
2004年7月17日-10月11日 神戸市博物館

at 16:59コメント(0)トラックバック(0)展覧会 

2004年09月17日

巫女

『巫女』 ラーゲルクヴィスト著

デルフォイを見下ろす山の中腹の小さなあばら家に老婆と白髪まじりの白痴の息子が住んでいた。

かつて老婆は、デルフォイの神殿の巫女であった。

ひっそりと暮らすふたりの元へ、この土地の者ではない大柄な男が尋ねてくる。
老婆に助言を乞いたいと言う。

男の喋った身の上話というのは、親子3人平凡だが幸せに暮らしていたある日、処刑の丘に向かう十字架を背負った見知らぬ男が、自分の家に凭り掛かった。
死刑囚が自分の家の壁に凭り掛るとは不吉とその男に「立ち去れ」と言うと、その死刑囚は、
「お前がこのことを私に拒んだからには、私より重大な罪を受けるであろう決してお前は死ぬことはない。永遠にお前はこの世を彷徨い歩き、決して安らぎを見つけぬであろうよ」と言い、また十字架を背負い直して行ってしまった。
このことがあって以来、妻子ともうまくいかなくなり、出て行かれ、自分はどうすればいいのかどうなるのか運命を訪ね歩いているが、デルフォイでは門前払いをくらい、あなたの噂を聞いて尋ねてきたと話した。

この十字架を背負った死刑囚というのは、キリストのことをいっているのだろうが、キリストがそのようなことを言ったという想定には読者は驚愕してしまうのであったが、ともあれ、その呪縛のような言葉によって、男は妻子を失い、彷迷っているにはちがいないのである。

男に促されて老婆は自分の人生を語り始める。

両親と貧しいながらも平和に暮らしていた自分が、なぜか突然、巫女に選ばれ、デルフォイの神殿で暮らし始めることになった。

巫女は地下の岩室のようなところで神に満たされ、神の御言葉を伝えるのが仕事だった。
老婆はたちまち評判の巫女になり、長く神殿に留まることになった。

神殿での仕事を恙無くこなしていた巫女に母親が危篤という報が入り、彼女は生家に戻り、母を見取ったあと、暫く父親の世話のためにふるさとに滞在する。
家の近くの谷間にある聖なる泉で、巫女は片腕の男に出会い恋に落ちる。

神に身を捧げてるはずの女とそれを知らずに女を愛した男との恋は激しく燃え上がり、やがて、自分が愛した女の正体がデルフォイの現役の巫女であることに至るとふたりの愛に終焉が見え始める。
ふたりの愛の軌跡をラーゲルクヴィストは見事に描きあげている。
神の花嫁の巫女が人間の男と契り、それをしあわせと感じることへの神への畏怖がじわじわと男女を侵食していく。

男との決別を決めて、デルフォイ神殿に戻った巫女のからだに異変があらわれる。彼女は妊娠したのである。

妊娠のことも相手の男のことも人々に知られてしまい、大罪を犯したと石を投げながら神殿を追われた身重の巫女は、山羊の群がる洞穴で男の子を産み落とすが、その子はへらへらとした笑みを常にたたえる痴人だった。

年老いてきて白髪の混じるようになった白痴の息子との日々を餘所の者の男に語っているとき、巫女のひとり息子が消えた。

息子は果たして誰の子だったのか、そして、神とは誰なのか?終盤に近づくにつれラーゲルクヴィストの筆はますます冴えわたる。
遠いギリシアのデルフォイのアポローン神殿や見知らぬその上架空の数奇な人生を生きた巫女であった老婆や白痴の息子の浮かべる笑みがまなうらに浮かんでは消え、老婆の横で話を聞いているのは、あたかも自分であるような錯覚に戸惑う。

元巫女の老婆は言う。

「ああ、そりゃあ、そうかもしれんのう。神樣に会うってことは危ないものよのう」

ラーゲルクヴィストに触れたのは、『バラバ』がはじめてで、『バラバ』を読むきっかけになったのも、日本では馴染みの薄い北欧のノーベル賞作家に興味を持ったわけではない。
キリストの身代わりに釈放された極悪人の死刑囚のバラバのその後を描いている作品があると知ったからだ。

『バラバ』を読むことで、ラーゲルクヴィストという作家がバラバ以上に気になり始めた。
スウェーデンのノーベル賞作家のラーゲルクヴィストは、83歳で死去したが、戯曲、詩も含めて作品は四十数篇しか公にしていない。

『バラバ』は絶版又はそれに近くという現状のようなので、手に入りにくく、他の作品も文学全集類にちらほら収められてるだけのようだ。
『巫女』は岩波文庫から2002年の末に出版されているので比較的容易に手に入るラーゲルクヴィストの唯一の本かもしれない。




at 22:46コメント(0)トラックバック(0)書評 
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