2004年08月

2004年08月20日

バラバ

『バラバ』 ラーゲルクヴィスト 著

あの男がどうなったのか私はずっと気になっていた。

その男の名前は 『バラバ』

彼はイエスの身代わりに釈放された死刑囚。粗野で無教養な極悪人。

バラバのことは四福音書に記述がある。

ルカの福音書からその部分を引いてみる
---ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて言った。
「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れてきた。わたしはあなたたちの前で取り調べたが訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとて同じである。それで我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから鞭で懲らしめて釈放しよう」しかし、人々は一斉に「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って改めて呼びかけた。しかし人々は「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。---中略---ピラトはバラバを要求どおり釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して好きなようにさせた。---


ピラトとは、総督。
祭りのたびごとに総督は民衆の希望する囚人をひとり釈放することにしていた。
イエスに罪を見出せなかったピラトは極悪人の死刑囚であるバラバを引き出し、民衆にどちらを処刑するべきか問うが民衆は祭司長や長老たちに説得されまるめこまれて、バラバの釈放を欲した。
バラバにしてみれば、死刑を待つ獄舍から民衆の前に突然引き出され、釈放されたのだから晴天の霹靂とはこのことである。

イエスはゴルゴダの丘で十字架に架けられるが、イエスが十字架で息絶える前からこの物語ははじまる。

バラバの聖書の記述は、上記の場面、すなわち、イエスの代わりに釈放された死刑囚がいたという部分に留まっている。
バラバのその後は聖書には見当たらない。
したがって、この物語は、スウェーデンのノーベル賞作家、ラーゲルクヴィストの創作作品ということになるのだが、
バラバの一生は本当にこのようなものではないかと思わせるようなすばらしい作品に仕上がっている。

思いかけず放免されたバラバは、鞭打たれたイエスが十字架を擔いで刑場の丘に上がっていくのも見ていた。擔ぎきれなくなったイエスの十字架を擔ぐシモンも見ていた。
バラバは尚も見ていた。磔刑になったイエスが死んでゆく樣を。
突然丘の上の空が闇に覆われる。
「神よ、わが神よ、なぜおん身はわたしをお棄てになったのですか」闇の中からイエスの声が聞こえ、また回りが何事もなかったように明るくなった。太陽は輝き、空は青く澄んだ。そしてイエスは死んでいた。

その後、バラバはイェルサレムの方に歩いて行った。
街で兎唇の女に会い、歩いていくと、ふとっちょ女に家の中に引き込まれる。

兎唇の女は去り、ふとっちょ女に酒を振舞われ、性欲に溺れた。しかし、それが終わるとバラバは自分の代わりに磔刑になったあのイエスという男のことを考えてしまうのだった。

バラバは街に集まっていたイエスの弟子たちと会う。
バラバは知りたかったのだ。イエスのことを。

兎唇の女はイエスの信仰に染まりつつあった。
女はイエスを救世主、神の子と呼び、裁かれ、石刑仕置場で石塊を投げつけられて息絶えた。
バラバは一番最初に女に石を投げつけた男を刺し殺した。
そして、みんなが去ったあと、兎唇の女を抱き抱えてある場所に向かいながら、イエスの言ったという言葉を思い出した。

「人を愛せよ」

バラバはある場所に兎唇の女の死体を横たえた。
そこには女が死産した子供が埋められていた。女の横で永遠に眠る。

バラバは年は三十くらいで皮膚は黄色がかって青白く、髭は赤味かかっていたが頭髮は黒かった。片方の目の下には髭で見えなくなっていたが、深い傷跡があった。
その傷をつけたのは、エリアフという男で、バラバはその男を決闘の末、断崖から突き落とした。
そのエリアフとは、バラバの父だった。母親は淫売屋に売り飛ばされたモアブ女で女は陣痛のうちにその子を呪い、天地の創造主に憎悪を感じつつバラバを道端で産み落として死んだ。
バラバはエリアフを突き落とした崖で思いにふける。
思い出すのは十字架に架けられた息子を見上げるマリアのことだった。

時を経て50歳くらいのバラバはまた捕らえられ、最も恐ろしい懲役である鉱山懲役に処せられていた。
そこで、バラバはキリスト教信者のサハクという40代のアルメニア人の男と知合う。
サハクの奴隷鑑札の裏には奇妙な文字が刻んであった。
バラバもサハクも字が読めないので何と刻まれているのかは不明だったが、サハクの説明によると救世主の名前が刻まれているということだった。バラバの鑑札の裏にもその文字(彼らには模様)を刻んだ。
バラバはサハクと祈りも捧げていたが、それを見られて打擲されてからそれもやめた。
それから彼らふたりは奇跡的に鉱山の懲役を逃れられ、ローマ総督の邸に送られる。
総官にバラバとサハクは信仰について聞かれる。
バラバはイエスへの信仰を否定しサハクは否定せず磔刑になった。
またバラバは十字架の上で人が死にゆくさまを見ていた。

バラバは街のたくさんの家に火を投げ入れ放火の罪で投獄された。
バラバはキリスト信者たちとその救世主を助けてこの世界に火をつけたつもりであったらしい。
しかし、イエスの代わりに放免されたバラバだと知ると彼らはバラバから離れて行った。

バラバは独りになった。ずっと昔からバラバは独りだったのである。

バラバはキリスト教徒とともに磔刑にされて死ぬ。

「おまえさんに委せるよ。おれの魂を」という言葉を残して。

バラバの生涯で不思議に思えていたものは「愛」「信頼」「信仰」不確かではあったかもしれないが、バラバはそれらをうすぼんやりと実感しながら、信じていくことができない。



キリスト教を信仰しない私が聖書を読みはじめたのは、西洋絵画に接するようになってからだ。
西洋の絵はキリスト教の中の場面が非常に多く描かれてるので読まなければ楽しめないのではないかと感じたからである。
読み物として読む聖書は、非常に面白く、奥深く、ギリシア神話などとはまた違った趣がある。
最近、知ったのだが、「ミッション・バラバ」という集団があるそうで、「親分はイエス様」を合言葉に元ヤクザさんたちで構成される伝道集団なのだそうである。
活動の内容などは全く存じ上げないが、このネーミングの上手さに唸らされた。きっと良い活動をしてくださってることだろう。

at 00:06コメント(0)トラックバック(0)書評 

2004年08月16日

合歓咲くや の巻

  脚韻を踏むという試み二囘目。
  連句という元々縛りのある文芸形式を死守しつつ句尾二音をabba/cddc/effe/ghhgで揃えソネットを獅子16句にし10人で詠んでみた。


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連句   合歓咲くやの巻 (ソネット抱擁韻 獅子)




発句   夏    合歓咲くやはつか腫れゆく昨夜の傷    和子
脇   夏   不粋なる蚊の為せし食み痕   圀臣
第三   雑    父母の苦言包まむオブラアト   栄子
四   秋    桔梗模様のブラウスは着ず    とも子


五   月   宵月にふらり散歩の気軽さでさで    初枝
六   秋    赤とんぼとぶペンションの庭   美保
七   雑    妖精の迷ふ扉の向かうには    真白
八   雑   前世の Cocu がうらやましい Sade   博士


九   冬    佐渡おけさもシャンソンふうに牡蠣フライ   燦
十   冬   恋   あなた好みのセーターを着て    栄子
十一   雑   恋   一夜だけ抱かれるつもりであれば来て   龍人
十二   雑   恋   飲みて明かせば汝れもさぶらひ   圀臣


十三   雑   幸福を語れば浅き夢のごとしも   とも子
十四   春   いま音もなく降るは淡雪   初枝
十五   花    ドンコ船花咲く岸を通りゆき   美保
挙句   春   辿りつきたる春の川下   真白



捌 :山科 真白  総監修:西王 燦

連衆 :西王燦 橘圀臣 山本栄子 谷口龍人 青木和子 
山野とも子 荒木美保 藤田初枝 矢嶋博士 山科真白


at 15:40コメント(0)トラックバック(0)連句 

2004年08月14日

メフィストフェレスは笑む


メフィストフェレスは笑む



嘘?本当?若返りたるあの人は魔女のくりやに寄りて来たとふ


永遠に右に回れといふ掟 時の針描く円環を見ゆ


炎天や たれの悪戯くちなはの殻が樹木に吊り下げられて


三十年前の事件を解きゆけば自白めきたる真夏のこゑは


夕立は熱を纏ひて横切りしファウスト博士のマントを濡らす


爪先に薄紅いろの花を描くゆふぐれ君の素足は白し


うつくしき羽根を持つゆゑ逝きてなほ美しく飼ふ剥製の鳥


夜に酔ひしおまへの夢に蘇るグレートヒェンの罪の幻


at 18:53コメント(0)トラックバック(0)短歌 

鉄仮面 歴史に封印された男

『鉄仮面 歴史に封印された男』  ハリー・トンプソン著

昔、フランスで鉄の仮面をつけられている謎の囚人がおり、その男は実は、ルイ14世の双子の兄で、三銃士が救い出しすり替えるが、また元に戻された。

王の兄に生まれたのにもかかわらず、この悲運な男の悲劇に同情していた先入観は、アレクサンドル・デュマの小説のあらすじそのまんまで、

仮面の男って一体誰?


多くの諸説や背景を検証し驚くような大胆な説を結論づけている本書は、謎の読み解きを早く知りたくてどんどん先を読み進んでしまう。

1703年11月19日 バスチーユにて、マルショワリーが獄死。遺体は20日サン・ポール墓地に埋葬。遺体の顔は潰されていた。

マルショワリーとは一体誰なのだろう。

死亡証明書を書いたふたりの医師も男の正体も実名も皆目見当がつかなかった。
仮面の男のいなくなった獄舍の居室の品はすべて燃やされ、銀や銅製品はすべて溶かされた。室内は石材の芯が露出するまで削られたあと、上から下まで新たに白く塗り直され、扉と窓はいちまい残らずその他のものと一緒に燃やされた。

生きている間、過度に嚴重に管理されていたにもかかわらずこの囚人は、極めて丁重に扱われ、食事も銀の皿で出されているような厚遇ぶりだった。
誰もこの謎の囚人の素性を知るものはなかったが、仮面をつけており、この仮面の男が囚人として実在したことも事実であった。

著書のハリー・トンプソンは、諸説をどんどん崩していく。
小説ではあるがデュマによって有名になってしまったルイ14世双子説。
当時、一般に双子は、最初に受胎されたという理由で、あとから生まれてきた方が長子だと考えられていた。
よって、遅れて生まれた男児は王の兄にあたるわけであるが、王家の出産は常に公開されていたし、そのような事実はない。

その他、諸説として、
・ルイ十三世妃アンヌと腹心であった枢機卿マザランとの不義の子説(作家ヴォルテール説)
・国王から金銭を脅し取ろうとしたイタリアの外交官説(マティオリ説)
・チャールズ二世の庶子説

などいくつかあるが、いずれもトンプソンは否定する。

トンプソンの突き止めた仮面の男は意外な人物であった。

バスチーユで獄死した囚人の特徴は次のようなものであった。
フランス人のカトリック教徒で、立派な体躯を持ち、教育があり、逮捕当時の推定年齡は30歳くらい。旅行経験豊富で、薬物に詳しく、1669年にピネロル要塞に投獄され、1703年にバスチーユで獄死。

ユスターシュ・ドージェ

という人物がいた。

彼は、カヴォワ家の三男で弟のルイは国王の最も親しい友人になっている。
同じく獄死したフーケはユスターシュの親戚にあたる。
家柄もよく、父、長男次男が勇敢な戦死を遂げた貴族の家で、何もかも用意された赤い絨毯の上を進んでいくだけで生きていけたはずなのに彼は一家の厄介者になっていく。
まったくささいな理由から斬り合いをはじめことさら蛮勇を気取り、兄弟や一族に恥をかかせて生きている男。
毒薬事件にも関与しているといわれた。
そして、顔はルイ十四世ととてもよく似ていたと推測される。

しかし彼が仮面の男になったのか。
十四世と瓜二つなのは弟のルイもそうで、それは一生幽閉される理由にはならない。
彼は重大な秘密を知ってしまった。
その秘密に対してトンプソンは大胆な仮説を立てる。

十三世と王妃アンヌとの仲は最悪だった。
元々スペイン人を嫌つていたルイ十三世は、男色説もあり、虚弱体質で、一度だけ妊娠したアンヌは流産し、ますます互いを嫌悪しつつ別居を続けた。不毛の結婚22年目に王と随臣たちは嵐に遭い、ルーブル宮に立ち寄ったが、偶然アンヌ妃も宮におり、一夜を共にして妃は妊娠し、9ヵ月後に14世を産み落としたということになっている。

トンプソンは、14世の出生の秘密が仮面の男の幽閉に関係しているのではないかと仮説をたてる。

13世と王妃の仲は修復不能なまでに罅が入っており、結婚生活20年を越えても世継ぎに恵まれないというのは国家の問題であると考えた側近のリシュリューは代理の父親を探した。
健康で知的でハンサムで活動的で忠実で社会的に認められた男で、王と王妃双方の知り合いで、誰にも怪しまれず幸せな家庭生活を送ってる男で、妻もその計画に同意し、子種があると実証されている男。
リシュリューの右腕で直属の銃士隊長ほど適任者はいなかった。
彼こそ仮面の男の実の父親であるフランソワ・ド・カヴォワだった。

ルイ14世には弟がひとり生まれるが、その後子供は産まれることはない。フランソワ・ド・カヴォワは、弟のフィリップが生まれてほどなく戦死している。

ルイ13世王妃はスペイン人である。そして代役によって生まれた14世がフランス王となり君臨する。
この出生の秘密を死守しようと必死になるのは当然である。

仮面をつけて牢獄で死んだ男。
彼はルイ14世の異母兄弟だったのか。

彼を見た数少ない人々は、証言する。
仮面は鉄ではなく黒い天鵞絨製だったらしい。
そして、仮面の男の正体を突き止めようと躍起になったルイ16世もわからないままだったいう。

at 18:16コメント(0)トラックバック(0)書評 

2004年08月09日

Paris 1900展

『Paris 1900』展  ベル・エポックの輝き

サントリーミュージアム天保山  大阪

1900年、激動の時代を経て、パリでは万国博覧会が開催されました。
そのパヴィリオンのひとつとして建設され、その後美術館として残されたプティ・パレ美術館から、ベル・エポック(美しき時代)期を中心に絵画、彫刻、工芸品など約150点が展示されている展覧会です。

プティ・パレ美術館は、パリの中心地付近にあり、交通も至便な場所にあるにかかわらず、私は渡仏の際に立ち寄れなかった美術館であり、今回の展覧会は楽しみにしていました。

今回の展覧会で最初に迎えてくれるのが、ジョルジュ・クレランの『サラ・ベルナールの肖像』


紅い天鵞絨のソファーに白いドレスを着て坐っている痩躯の碧眼の美しい女性。
彼女の名前は、サラ・ベルナール。
フランスの誇る大女優。
望まない子として生まれたサラはすぐ里子に出され、15歳まで修道院に預けられた。
その後、母とその妹は所謂妾稼業で生活の安定を見、彼女は母に引き取られる。
18歳で初舞台を踏み、その後の成功で確固たる女優の地位を確立したあと、自分でも劇団を結成。亡くなる79歳まで女優でありつづけた人である。
ユーゴー、プルースト、ワイルドなど文豪、芸術家たちとの交流。そして、サラのポスターを描いたことにより、一夜にして時代の寵児となったミュシャ。
≪ジスモンダ≫で成功を手にしたミュシャはサラのポスターを何枚も書き、舞台衣装なども手がけた。
サラとミュシャの出会いにより、アール・ヌーヴォーの幕開けをみる。

サラは死を模倣するため薔薇の木で作った棺で眠ったことも有名な話である。そして、サラ自身も絵画や彫刻など創作した。

サラ・ベルナールのことは、フランソワーズ・サガンが架空の往復書簡仕立てで書いている本がありサラやその時代を知るのによいと思います。

さて、そのサラの肖像画やミュシャのポスターのほか、
展覧会には、セザンヌ、ルノワール、ピサロ、マイヨール、そして、象徴派のモロー(二点きていました)やルドンも展示され、充実した内容でした。

2004年7月3日-8月31日  サントリーミュージアム天保山

at 22:46コメント(0)トラックバック(0)展覧会 
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