2004年06月

2004年06月28日

美と王妃たち

havhiqaw.JPG「フランスのありとあらゆる作家たちのなかで、ジャンヌ・ダルクは私が最も感嘆敬服する作家である。彼女は文字の書き方を全然知らないのに、十字架で署名した。だが、私は彼女が使う言語を、そして至高のものであるその簡潔さのことを語っているのだ」

ジャン・コクトー

フランス革命100年後に生まれた多彩なる芸術家は、
小説家、評論家、批評家、映画監督脚本家、バレエ脚本家、画家などその多岐にわたる創作活動のなかで詩人と呼ばれることを最も好んだという。

ベル・エポックに多樣な光を放ち続けた彼のことを書くとき、彼と出会い親しく交流してきた人々のことを思いださずにはいられない。
ディアギレフ、ストラヴィンスキー、サティ、モディリアーニ、ピカソ、キスリング、コレット、マン・レイ、ダリ、ココ・シャネル、エディット・ピアフなど、彼らが出会うことで
生れる濃密な芳香の花々をわたしたちは知ることになる。
その花は、絵であり、言葉であり、音であり、声であり、映像であり、芸術であった。

哀しいかな原語を読めない私は、
堀口大學氏の翻訳のコクトーの詩集、『阿片』を読み、
澁澤の翻訳した『大股開き』『ポトマック』を読み、
山上昌子さんの訳した『鳥刺しジャンの神秘』を見、
高橋洋一さん訳の『恐るべき子供たち』そして、今回、和訳されていなかった『美と王妃たち』を高橋さんの訳と解説で愉しんだ。

本書は、20人のコクトーにとっての王妃たちが登場し、彼女たちは、コクトーの熱い視線と情熱を持ったキレ味の良い筆致で描かれている。
20人の王妃たちは、戴冠してるしていないにかかわらず、彼にとって王妃的存在であり、あり続けた女性たちである。

聖女ジュヌヴィエーヴ、ジャンヌ・ダルク、マリー・ド・メディシス、ポンパドゥール夫人、レカミエ夫人、サラ・ベルナール、リアーヌ・ド・プジィ、ノアイユ伯爵夫人など、
波乱に富んだ人生を送った彼女たちを自由な筆で描く。そして、20人目の王妃は「未来の女性」なのである。

本書には『暗殺として考えられた美術』も收録されており、キリコ、ダリらを中心に展開する美術論は読み応えがある。

「傑作は罠であり、その主題はひとかけらの砂糖だ」

コクトーは対象にそっときらめく刃物をいれる。
血も光も見逃さない。

彼が愛したラディゲはあっけなく死んでしまう。
アヘン中毒になったコクトーを療養させて立ち直らせたのはココ・シャネルだが、
たびたび彼が見た若い男の姿の天使の「ウルトビーズ」
幻視的な芸術の魔術に囚われる。
サン=ジュストなどを思いつつ、、、夏。

at 00:55コメント(2)トラックバック(0)書評 

2004年06月26日

夏のペルソナ

lo4n7yy8.JPG矢の刺さるセバスティアヌスに発情す少年三島の眉の漣


禁といふ字をちひさき石に彫り篆刻教室ゆふぐれに閉づ


失せ物は見つからぬまま夏銀河ざくざく星を狩る人よ生れ


怖ろしき殺人事件の起こりたるものがたり読む月の真下に


盥とは死語となりしかその縁を見たるみどりご昭和に死して


ふらここのかすかに揺れる音がしてだあれもゐない午後の公園


青草がしづかに靡く野の原にぱさりと捨てる夏のペルソナ

at 19:14コメント(0)トラックバック(0)短歌 

さくら貝

drd1kf9k.JPG

春の海さくら色した貝殻をひとつ拾ひて帰りませうか


うすぎぬを纏ひし春の光ふるひねもす海はやはらかきかな


みづに浮くゆふべのゆめも片割れてはまひるがほのちらつく浜辺


足裏のちひさき砂を乾かせり陽にも風にも神の口笛


美しき珠を呑みこむとふ仮説言葉は死して去りてゆけども


鋭角を拒みて波が洗ひたるみづいろ硝子はみづに揺れつつ


やさしさを目立たぬやうに添へながら海はしづかにゑまひてをりぬ

at 19:13コメント(0)トラックバック(0)短歌 

2004年06月21日

神々は渇く

91kslhth.GIF『神々は渇く』 アナトール・フランス著

時は、フランス革命の嵐が吹き荒れんとしているパリ。

エヴァリスト・ガムランという青年が旧教会堂で無能議員の除名を要請する請願書に署名をするという場面からこの物語ははじまる。

シャルロット・コルデーに暗殺されたマラーを描き、ギロチンにかけられるために馬車に揺られるマリー・アントワネットの横顏をデッサンし、ナポレオンの宮廷画家になったダヴィッドの弟子という想定のこの青年は、
狭いアパートで売れない絵を描きつつ、母親と同居し、その日のパンにも事欠く日々を送っていた。

そんな彼がある日、陪審員に選ばれる。
次次と送られてくる革命の犠牲者たちを正義の名のもとにギロチンにかける評決を下す一員に加わり、ジャコバン派の粛清と共に自らもギロチンの露と消えてゆく。

王統派、あるいはフランス革命を担った革命家たち、またはその派閥、時代の史実としての革命史とは描く観点の異なりをみせる本書は、
パリを中心としてフランスに巻起こった革命を、平凡な一青年とその青年に関った人々、または隣人を通して描く長編小説である。

ルイ16世が処刑され、マラーが暗殺され、マリー・アントワネットが処刑されたのが1793年。
テルミドールクーデター、ロペルピエール、サン・ジュストの処刑が1794年。
主人公のガムランの処刑も同年であるだろうから、1793年、94年を描いたものといえる。

ノーベル賞作家である著者のアナトール・フランスは、1844年生れ。
1844年というと、革命は終結し、ナポレオンも死し、ふたたび王政の時代だが、依然として人々の暮らしは苦しく、凶作も手伝って、王政は崩壊しナポレオンの甥の三世が即位し、帝政治国を行おうとする時代に向かっていく時である。
フランス革命を知るには必須の書物といえる『フランス革命史』を描いたミシュレは、
アナトールよりも前の革命終焉近くの1798年に生れている。
この二冊を読み合わすことは非常に有意義なことだと思うが、
革命を経てもなお、濁流のうねりに翻弄されていくフランスという国の歴史はあまりにも深い。

また、
『神々は渇く』や『フランス革命史』とは全く違う視点の著書で、特記したいと思うのが、

『ルイ16世幽囚記』とオリヴィエ・ブランの『150通の最後の手紙』

『ルイ16世幽囚記』には、タンブル塔で幽閉生活を送る国王の世話を自ら志願した従僕クレリーの日記と、
処刑直前までの最後の司祭となったエジウォルト・ド・フィルモン神父の手記、
ルイ16世とマリー・アントワネットの四人の子供のうち、唯一生き残った彼らの第一子であり王女のマリー=テレーズの回想録が収められており、
これだけを読むと、無能ではあるが、悪人ではないこの王を殺す必要があったのだろうかという思いが芽生える。
マリー・アントワネットへのフランス国民の憎しみは想像を超えるものであり、歴代の王と違って、王妃がすべてだったルイ16世が、もし、マリー・アントワネットではなく、他の王妃を貰っていたなら処刑は免れたのであろうか?
本当は、このハプスブルクとの政略結婚で、偉大なるマリー・テレーズ女帝は、マリー・アントワネットのすぐ上の姉を嫁がせるつもりだった。
それが、アントワネットが生まれ、ルイと年齡がより釣り合うので末子の彼女が王妃に選ばれた。
どちらにしても、これだけフランス国民に蔑まれ、憎まれたマリー・アントワネットのハプスブルク家から、革命後独裁政権を握ったナポレオンは、子供のできないジョセフィーヌを離縁し、またハプスブルクから后妃を迎えている。

『150通の最後の手紙』は、
歴史家のオリヴィエ・ブランが、国立古文書館の整理箱、フーキエ=タンヴィルの文書の受寄物の中に発見した、断頭台に送られる人々がその数時間前、あるいは数分前に家族や親しい人たちに宛てて書いた手紙をまとめたものである。
フーキエという男は、悪名高き革命裁判所検察官であり、マリー・アントワネット、ダントン、ロラン夫人、シャルロット・コルデーなどをギロチンに送った。
そのフーキエも処刑台送りになるのだが、
コンシェルジュリーで執行を控えた人々が書いた手紙や遺書は裁判所が差押え、フーキエの元に残ったままになっていたらしい。
日本でいうところの『きけ わだつみのこえ』と似た死を直前にした人間の哀切がひしひしと伝わってくる。
マリー・アントワネットやフーキエ自身の手紙も含まれて構成されているこの本はフランス革命に触れていく上で重要な役割を担う一冊だと思う。

パリを歩きつつ、フランス革命とは何であったのか考えた。

コンコルド広場は雨に濡れ、200年を経た今では断頭台で流された血の色も跡形もなく、ただ、天に近づくように高いオベリスクが凛と立っているだけだった。

at 21:26コメント(0)トラックバック(0)書評 
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