2004年04月

2004年04月29日

ゼフュロスの風

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ぺりぺりと薄き硝子を破かむと春の嵐は吹き荒れてをり

西風に頬膨らます美男子のゼフュロス春を携へて来ぬ

春の陽の温んだみづに溶かしゐる残滓のやうな冬の埃は

尾の長き生きものしゆると音たてて近づきてくる春といつしよに

頤に蜜をこぼして溺れゆく 木乃伊作りは皐月がよくて

そらまでもひろくあなたを抱きしめて黄の砂さらと落ちゆくゆふべ

朝一番エイズ患者の腕に見る自殺未遂の縫合の跡

新しきさみどりいろのものが欲し けものの肉に巻き込む野菜

不器用なやさしさなれば愛しく春風のなか繋がりてゐる


at 15:29コメント(0)トラックバック(0)短歌 

2004年04月22日

石の遊び

9wgyq5jg.JPG『石の遊び』  華雪 著

篆刻には前から少し興味がある。
石に文字を彫る。
その行為は、非常に奧深いものに思える。
素人の私には篆刻についてはここまでしかわからない。

この本は地味な装丁の本だ。
しかし、本をめくって著者が書いたまえがきに心を奪われた。

「彼女はすべてわかっている」 

華雪さんという方は1975年生れ。

幼い頃から書の才能を発揮し、数々の賞を受賞している。

どんなジャンルのことでも、必要なのは知識の蓄積などではなく、勿論、賞などの名誉などどうでもよい。

彼女は早くから流行や傳統に流されることなく、虚栄も持たず、自分自身にとって、どうなのかということを考えられる人だったのだろうと思う。
篆刻がまるでわからない私にも彼女の作品の魅力が伝わる。

彼女の書く文章も決して派手ではなく、無駄な裝飾もない。

彼女は毎年必ず見る桜があるという。
夜中に花びらだけ見に行ったり、その桜の木のそばにじっと立ったりし、まだ見えない季の一めぐりを思い、来年も来ることを桜に約束するという。

20代でこんな桜を見つけることができることがまずすばらしく、季のめぐりに心を添わせることができるというのも若いとなかなかできることではないと思う。

彼女の篆刻は不思議な魅力に溢れている。
中欧の世紀末美術を想起するようなものがあるかと思えば、まるごと京都的としかいえないような印象のものもある。
細い線も太い線も彼女の感性に満ちていて美しい。

at 22:50コメント(0)トラックバック(0)書評 

2004年04月16日

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 ユキは幼い頃、祖母とよく墓参りに行った。
祖母は朝から庭の花を剪り、その花をユキは腕いっぱいに抱えて祖母について行った。
 墓地には大小合わせていくつかの墓石があり、そのひとつひとつを祖母はきれいに磨き、花を手向け、お供物をし、蝋燭と線香に火をつけると、手を合わせた。
 祖母が微かな声で呟くように長々と経を唱えている間、ユキは雲の模様を見たり、囀る鳥の行方を探したりして時を過ごした。
 墓から帰ると黙って祖母は飴玉を一粒ユキの口の中に入れ、そのあと必ず髪を編み直してくれるのだった。

 ある夏、親戚の人たちに連れられてユキは墓参りに出かけた。
 親戚のお兄ちゃんが不思議なことをした。
 石の上に火のついた蝋燭を傾けて蝋をこぼし、その上に蝋燭を立てると蝋燭は手を離しても真直ぐに立っている。
「きれい・・」
おにいちゃんは、石の上に何本もの蝋燭を立ててくれる。
「きれい・・きれい・・とっても」ユキが蝋燭に近付こうと勢いよくしゃがんだ時だった。蝋燭の火がユキのスカートに触れ、燃え上がった。
少女が燃える時、パチパチという音がした。

 ユキの火傷はひどかった。特に左脚は広範囲に爛れた。動揺のおさまらない両親は娘を熱心に皮膚科に通わせることで心の平衡を保とうとしていた。
病院に行った翌日の両親が留守の昼間、祖母はユキの脚の包帯をはずし、医者の塗った白い軟膏を微温湯で丁寧に洗い流して、自分の用意した布を傷に貼った。油紙を当て元通りに包帯を巻き、飴玉をユキの口に入れ、髪を編み直した。
そしてまた、病院に行く前日にしまって置いた医者のガーゼを自分の布と取り替えた。
その儀式のような奇妙な祖母と少女の光景は、中国の纏足作りに似ているのではないかと成長したユキは思う。無言で流れる時間には信頼という絆が大河のように横たわる。

 それから祖母が亡くなるまでの数十年間、ユキは祖母と何の話をしたのだろう。最低一年はかかると言われていた火傷は三月で治った。あの魔法のような布に染み込ませていたものについても話したことはなかったし、どうしてあの日、祖母が墓に行かなかったのかもユキは思いだせずにいる。


ひとすぢの火の色持ちし飴玉を含めば甘き祖母の思ひ出

at 18:41コメント(0)トラックバック(0)散文 

2004年04月15日

最後の場所で

『最後の場所で』 チャンネ・リー著

「なぜか好きなの。このかんじ」 そう言って図書館の書棚から一冊抜きとった本を彼女は私の手に載せた。

彼女はかけがえのない友人だが関東に住んでいることもあって会うのは年に一度あるかないかである。

彼女とは多くのことを話さなくても通じ合うところがあり、私が最も愛し、信頼している彼女の感性は、上品で清潔で静謐を纏う。

今までも私は彼女にたくさんの本を勧めて貰ったり、送って貰ったりしてきた。
しかし、書棚からとった本を彼女から手渡されたことは一度もない。
彼女が目で追った文字を私が目で追う。
何度も同じ本を読んできたのに、彼女が私の街の私のよく行く図書館の書棚からその一冊を抜きだしたことが仄かに嬉しかった。

そんな風にめぐりあったこの本の主人公は、
ニューヨーク郊外の小さな町に住む日系アメリカ人で、長年医療用品や器具を扱う店を営んでいた。
名前はフランクリン・ハタというが、町の人たちは彼のことを敬愛をこめて「ドク・ハタ」と呼ぶ。
ドク・ハタは、初老に達し、店を若い夫婦に売却して今はプール付きの邸宅でひとりリタイア生活を楽しんでいる。

彼はアメリカのこの町に来て、敵を作らなかったどころか、彼と接した人々は彼の人柄を例外なく評価した。
自分と係りのあったひとに親切にし、誠意をもって尽くした。
「あの人のことを悪く言う人はいない」そんな人は私逹のまわりにもいるかもしれない。ドク・ハタはまさにそんな存在で、汚点のない人生を淡々と生き、老境を迎えているようにみえた。

彼は結婚していなかったが、サニーという孤児院で暮らしていた7歳の少女を養女にして育てた。
勿論彼は一生懸命に彼女を育てるが、娘はハタを好きになれない。
なぜなら、彼女は自分がどんなに心を曝そうとしてもハタとの間に薄絹のベールのようなものがあり、常に冷静で親切なそれを疑いようのないハタに合わせることを強いられた時期があった。

またハタは心の美しい恋人を持つ。彼女はハタを愛し、ハタも彼女を愛した。だが、恋人はハタの元を去っていく。
何ごとにもハタは優等生的であり、受動的なのだった。
人が感じたい愛情というのは、男女の愛も親子の愛も何にも包まれることのない正直な感情で、フィルタがかかっていたり、真実に消極性が認められると自分の持っている愛情の深ささえも疑わずにはいられなくなるのではないだろうか。

ハタは日本人ではなく、朝鮮人の両親から生れて日本人の養子になった。
日本軍の医務士官として出征し、ビルマで朝鮮から従軍慰安婦連れて来られたKを愛する。

慰安婦に貶められるのなら死にたいというK。
次々と起こる辛すぎる出来事のなかでKは自分を殺してほしいと切願する。

過去を誰も消すことは出来ない。
心の窓を少ししか開かず親切なひとは万人に愛される。
しかしその孤独と悲しみは静かにヒタヒタと寄せる波のように常に心の襞をなぞり続ける。
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at 18:36コメント(2)トラックバック(0)書評 
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