2004年03月

2004年03月18日

おまもり

『おまもり』 リラ・パール&マリオン・ブルーメンタル・ラザン著

一枚の写真がある。モノクロの写真。

女性が屋外でじゃがいもの皮を剥いている。その横の女性は剥いたじゃがいもを煮ようとしている。
女性たちの背景のように写っているのは堆く積み上げられた多数の死体。
背後の死体は全く気にしない様子の女性たち。じゃがいもを剥いている女性は俯き加減でうっすら笑みさえ浮かんでいる。

この写真は、1945年、ベルゲン=ベルゼン収容所解放直後に撮られたものである。

じゃがいもを剥いてる女性は解放された喜びに満たされているのであろう。背後の夥しい同胞の遺体は悲しくもその解放の意味を伝えている。

ベルゲン=ベルゼン収容所はアンネ・フランクがチフスで亡くなった収容所である。この写真が撮られたのと同じ1945年のことだった。


『おまもり』 この本の副題は、
<ホロコーストを生き抜いたある家族の物語>

もう一枚の写真がある。

髪に大きなリボンをつけた可愛い斜視の少女。
少女の名前は、マリオン・ブルメンタール。
アンネと同じくドイツ系ユダヤ人に生れたマリオンは5歳の時に両親、兄とともにオランダのヴェステルボルク収容所に送られる。

その後、ベルゲン=ベルゼン収容所に収容される。
マリオン一家がベルゲン=ベルゼン収容所に収容されたのは1944年。そして1945年の4月15日にイギリス軍に解放される6日前まで一家はこの収容所で過ごす。

マリオン一家とアンネは互いを見知っていたかどうかは不明だが同じ収容所で同じ時を刻んでいた。アンネ・フランクは収容所解放のちょうど一月前の3月15日に亡くなっている。

マリオンもアンネもユダヤ人に生れた。
聖書の四福音書を書いたルカ以外のマタイ、マルコ、ヨハネもユダヤ人であった。
国家を持たないユダヤ人は、それぞれの国で根附いたが、ドイツでのユダヤ人はドイツ国民の人口の1パーセントにも満たなかったという。

ヒトラーはユダヤ人、共産主義者、ロマ、ポーラーンド人やロシア人などのスラヴ系民族までも劣等民族とみなし、ドイツ人のなかでも精神的肉体的に障害をもつ人、同性愛者も生きている価値がないと公言した。

最初ヒトラーは、ただの頭のおかしな政治家と思われていた。
しかし、数年で多くの議席を獲得したナチ党はドイツを完全掌握する。

ユダヤ人というだけで迫害を受けることになったマリオン一家は、オランダのヴェステルボルク収容所からベルゲン=ベルゼン収容所に送られ、列車に乗せられて二週間後、ソビエト軍に解放される。

ベルゲン=ベルゼン収容所にいた日々は一家にとって地獄だった。寒さと餓えとチフスの蔓延との闘い。
いつ処刑されるかという不安と戦う毎日。
次々と死んでいくまわりの人々。
そんな生活の中でマリオンはおまもりとして、そっくり同じ小石を4つ見つけることを生きがいとしていた。
3つまでは見つかっても4つめがなかなか見つからない。
その小石をおまもりとしてそれぞれが持っていたいと思ったのだ。
せつない。

解放されてほどなく、父がチフスで亡くなってしまう。

一時オランダに戻った一家はオランダからアメリカに渡る。
アメリカに渡った母子3人は苦労をしつつも幸せな生活を手にいれ、マリオンは収容所での経験を語る活動を続けているという。

いつのまにか、国が狂気に支配される。
わたしたちの日本も種類は違っても何か間違った方向に歯車がまわりはじめてはいないか?
うっすらと靄のように広がる汎不安を感じつつ、命の重さを改めて考えてみるのでした。

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at 23:34コメント(0)トラックバック(0)書評 

2004年03月14日

『大英博物館の至宝展』

cmtsw7yr.JPG神戸市立博物館 三宮

昨年2003年に大英博物館は創立250年を迎え、さまざまな記念行事が開催されたが、昨年末から東京からはじまっている『大英博物館の至宝展』は同館8つの収蔵部門が参加する画期的内容で、海外の展覧会でははじめての試みだそうで、この展覧会が、東京、神戸、福岡、新潟とまわってくれることも日本人として嬉しく思います。

そんな展覧会なので前評判も高く、東京での開催では大多數の来場があったとお聞きしています。

神戸でも1月17日から開催されて、多くの神戸をはじめ関西の方々が博物館を訪れているようです。
私が行ったのは2月11日祝日の13時ごろ。
博物館の中に入るまで1時間待ち。
入館してからはあまりの人で進むのも大変という状況でした。

大英博物館は医者のハンス・ローンの収集品八万点近くを国に寄贈したことからはじまる。現在の収蔵品は700万点以上。100室近い展示室があり年間500万の人が訪れる。

大英博物館の収集品のなかで一番有名なのが、ナポレオン軍がエジプトのロゼッタで見付けた石。「ロゼッタストーン」だが、今回は複製品が来日。「ロゼッタ・ストーン」は大英博物館の目玉であり、1972年にパリに出展された以外国外には出されたことがないので複製展示で仕方無いというかんじだが、複製とわかっていても石のまわりには人だかりができていました。

他、今回の展覧会では展覧会の名のとおり、至宝ばかりであったがそのなかのものをいくつか。

イラク北部で出土したB.C645年ごろの雪花石膏に彫られた矢を受けて口から血を吐いている瀕死のライオンは印象深い。当時アッシリアではライオン狩りは武力の訓練や儀式として欠かせないものだったという。

古代エジプトではミイラがさかんに作られていたが、臓器は遺体とは別の壷に保存された。
遺体に残したのは人間存在の中心で知性を宿すといわれていた心臓だけである。
別に保存される臓器はすべてではなく、常に保存されたのは、肝臓、肺、胃、腸でこれらの臓器をナトロンという塩化化合物で乾燥させ、油脂と樹脂をを塗って亜麻布で巻いたという。これは遺体と同じ処置である。
これらの臓器をエジプト学者が「カノポス壷」と呼ぶ壷におさめ、ミイラのそばに安置したという。
4柱の小神(ホルスの息子たち)が各臓器を守るとされ、壷の蓋をヒト、ヒヒ、ハヤブサ、ジャッカルを象って作られている。
ヒトには肝臓を、ヒヒには肺うぃ、ハヤブサには腸を、ジャッカルには胃をおさめたという。
今回出展のネスコンスのカノポス壷は、形状もほぼ完璧であり、彩色も鮮やかでした。
他にもミイラ関係では、ミイラ本体や、ミイラマスク、ミイラ棺、ミイラボード、リアルなミイラ・ポートレートもありました。

ミイラ・ポートレートはシナ材に描かれたものだったが、見たものはB.C60年ごろのローマ占領下のエジプトのもの。
文化も多文化であったらしく埋葬習慣もギリシアとの混合様式がとられていたようだ。
溶かした蝋を顏料に混ぜて描かれたミイラになった死者は、裝飾品をつけ、真直ぐにこちらをみつめている。

あまり知られていないようだが、大英博物館には版画やデッサンのコレクションが250点以上あるという。
デューラーの版画、クラーナハの素描、マンテーニャの素描、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの素描などが出展されていたが、「腕を上げる男と足の習作」というラファエロのデッサンは、キリストの復活に描く戦士の習作とうことであるが、ラファエロというよりもまるでミケランジェロの筆であるような筋肉隆々の裸体であった。

展覧会のちらしの表紙になっている「牛頭のある女王のリラ」は、イラク南部プ・アビ女王の墓から出土した二点のリラのひとつで、リラとは小さな竪琴のことである。
リラは墓抗の壁に立てかけられていて、宝石類や10人の女性の遺体も見つかり、殉死者と考えられたが、ひとりの女性はリラのすぐそばに横たわり、指は弦にかけられていたという。光り輝く牛頭裝飾は押潰されていたので角とともに復元されたらしいが、髭、髪、目はラピスラズリ製。
侍女はリラを女王の遺体の横で自分が死に絶えるまで奏で続けていたのだろうか。



2003年10月18日-2003年12月14日 東京都美術館
2004年1月17日-2004年3月28日  神戸市立博物館
2004年4月10日-2004年6月13日  福岡市美術館
2004年6月26日-2004年8月29日  新潟県立万代島美術館


at 22:22コメント(0)トラックバック(0)展覧会 

2004年03月11日

ハプスブルク夜話

西洋王族家系は、ちょっと思いだしただけでメディチ、ボルジア、バイエルン、ヨーク、ランカスター、ウィンザー、ブルボンなど数々あれど、どうも、私はハプスブルク贔屓のようで、ハプルブルク関連の本を見つけると喜んでしまう。

ハプスブルク王家が終焉を迎えんとする最後の華やぎや時代の終わりを予感する退廃的なムードにも惹かれる。
もちろん、オーストリア世紀末芸術にもとても惹かれているのだが、

さて、

この本の著者、ゲオルク・マルクスはウィーン在住のジャーナリストで、ハプスブルク事実上最後の皇帝のフランツ・ヨーゼフ研究の第一人者。

彼の著作は以前にも読んだことがあり、それは『うたかたの恋と墓泥棒』という本でしたが、
「実は、マリー・ヴェッツェラの骨を持っているんです」という人物が現れる。
マリー・ヴェッツェラとは、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベト妃との間に生れた長男のルードルフ皇太子がマイヤーリングで心中した相手で、その遺骨を持ってるという実際にあった事件を描きつつ、マイヤーリングの夜にふたたびスポットをあててゆくというスリリングな内容の本だった。

本書の『ハプスブルク夜話』は、著者がウィーンの日刊紙「クローネ・ツァイトゥング」に書いたコラムをまとめたもので、『うたかたの恋と墓泥棒』の5年前に刊行されている。

訳者の江村洋さんは、日本のハプスブルク研究の第一人者であり、著書も訳書もとても讀易く解り易い。

アンナ・ナホフスキーという女性について詳しく書かれていたことに興味を持った。
ヨーゼフ帝がエリザベト妃を愛していたことはよく知られているが、妃はいつも何處へという状態だったから、少々浮名も流したらしく宮廷女優のカタリーナ・シュラットの仲などは知っていたが、この女性についての詳しいことは知らなかった。
ウィーンの町娘だったアンナはシェーンブルン宮殿の庭園で皇帝と運命的な出会いをする。
三十歳年下のこの女性は4人の子供を出産しているが、ヘレーネとヨーゼフは皇帝の子らしいということである。
ヘレーネは声楽を学び作曲家のアルバン・ベルクと結婚した。
弟のヨーゼフの方は幼い頃から神経障害に苦しみ多年にわたって養護施設で過ごしたという。
ヨーゼフ帝生誕百年の当日、贖罪として左手小指を切斷し、皇帝の石棺に保管を委託した。
その後、精神病院に収容され、姉のヘレーネの介護も空しく亡くなったという。

アンナと皇帝の仲は十数年続いたが、マイヤーリング事件のあと、アンナは王宮事務局に呼ばれ、宮内庁長官から皇帝との仲を終りにし、これ以後はふたりの関係に関して他言しないという念書をとられて、多額の金銭を貰ったという。
アンナは71歳でウィーンで亡くなるが、生前に日記を娘のヘレーネに託し、ヘレーネはその日記を国立図書館に委託した。
ヘレーネは91歳で死去したが、自分の死後三年たったら母アンナの日記を公開してもよいと遺書を残して亡くなり、国立図書館は日記を公開したらしい。

出会いからともに過ごした年月を記しているその日記の信憑性は信じ難く思われる箇所があるとはいえ、ふたりの関係が事実であったことは間違いがなかったといえるらしい。

「彼はいとしげに私をじっと見つめ、息が詰まるほど私にキスをした。私は幸福の海に漂っていた」・・・(アンナ・ナホフスキー秘密の日記から)

at 00:05コメント(0)トラックバック(0)書評 

2004年03月07日

『秋の声の巻』 満尾

去年の秋から巻いていた歌人の藤田初枝さんと矢嶋博士さんの両吟の 『秋の声の巻』 が今日満尾した。

もともと、3人でPRIVATE BBSをやっていて、そのなかでやりとりをしたものだが、
私は捌と挙句を詠ませて貰いました。

年を越しながら巻いた歌仙。

去年の京都のひとときを思いつつ、満尾。


at 22:09コメント(0)トラックバック(0)連句 

2004年03月03日

真夜の黒猫

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山科真白 短歌

冬の夜はくらがりに浮くうつしみのをんなの肌をゑがく夢みし

縺れたる指のあはひや 黒髮のをんな絵師にはなれなきものを

老梅といふ名の枯淡の練り香を貰ひて来しはをととひの宵

約束の雪舞ふ橋を渡るなら首にうさぎの毛皮巻きませ

こゑとこゑ繋がりてゐる目にみえぬけふもこゑのみ繋がるゆゑに

物の怪にまこと今宵は逢ひたしと言へば笑まふか真夜の黒猫

さまよふはひとの心よ きんいろのうはべ飾りはさびしかるらむ

その襖そろりそろりと開けたれば睦月如月白鷺を見ゆ

画材屋を廻りし冬のひと日終へ道づれの影しまふ抽斗



at 16:47コメント(0)トラックバック(0)短歌 
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